私のバイブル本『走ることについて語るときに僕の語ること』村上春樹著
今回は私のバイブル本である『走ることについて語るときに僕の語ること』村上春樹著
について語らせて頂きます。
『少なくとも最後まで歩かなかった。』
締めくくりで、村上春樹が墓碑銘に刻んで欲しいという言葉。
素敵過ぎて、泣けてくる(;_;)
カタチのある成果を短期的に、しかも連続して出すことや、変化至上な考え方に晒されていると、プロセスを継続して遂行することの価値を見失ってしまう。
勿論どちらが良いとか要不要の話ではないけど、人によって適性はあると思う。
この本、何度読み返したことだろう。
毎回感動してしまう。読む度に気づきがあるし、タイミングによって感動ポイントが違う気もする。
そして勇気付けられる。
それだけ胸に響く珠玉の文章たちで溢れているということ。
内容は、文字通り「走ることに」について語るランナーの心得的な内容でもあるが、その言葉は生きるための哲学でもある。
もしかしたら仕事に対する哲学ととる人もいるかもしれない。
なかなか村上春樹ほど「走ること」に対しても仕事に対してもストイックにはなれないけど、きっと共感できる言葉が見つかるはずだ。
以下、私の心に響いた言葉達を綴ります。
『継続すること – リズムを断ち切らないこと。長期的な作業にとってはそれが重要だ。いったんリズムが設定されてしまえば、あとはなんとでもなる。しかし弾み車が一定の速度で確実に回り始めるまでは、継続についてどんなに気をつかっても気を使い過ぎることはない。』
『昨日の自分をわずかにでも乗り越えていくこと、それがより重要なのだ。長距離走において勝つべき相手がいるとすれば、それは過去の自分自身なのだから。』
『考えてみれば、他人といくらかなりとも異なっているからこそ、人は自分というものを立ち上げ、自立したものとして保っていくことができるのだ。』
『運動量と達成されたものごととの効率も、目に見えて悪くなってくる。しかしそれは仕方ない、あきらめて、手に入るものだけでやっていくしかない。それが人生の原則だし、それに効率の善し悪しだけが我々の生き方の価値を決する基準ではないのだ。』
『走り続けるための理由はほんの少ししかないけど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんあるからだ。僕らにできるのは、その「ほんの少しの理由」をひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ。』
『走ることは僕にとっては有益なエクササイズであると同時に、有効なメタファーでもあった。』
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